「意識高い系」とは?意識高い系が苦手な理由。
「意識高い系」の定義を解説し、一緒にいると窮屈な理由について考えてみました。
そもそも「意識高い系」とは
Wikipediaには「意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。」と書いてあります(意識高い系 - Wikipedia)が、私の中ではここまでネガティブな意味を含んだ言葉ではありません。
意識高い大学生の特徴
私が思う、私の周りにいる意識高い大学生の特徴は以下の通り。
- 「人脈」が好き。
- コミュ力第一。
- 「成長」が好き。些細なことを自分の成長に繋げる。(←偉い。)
- 起業したがる。起業家が好き。CEOという名が好き。
- ビジネス書を読んではすぐ感化される。
- 国際交流系サークル・社会問題に関する学生団体、NPO・インターンに入り超コミットする。感化される。
- SNSで長文投稿。(誰も興味ないのに)近況報告したり何かしらの意見を言ったりする。
- 横文字が好き。
- アツい。明るい。
こんな感じです。悪い人ではない。むしろ尊敬する点もある。このような人が一定数いるのは良いことだし必要です。
でも、「意識高い系」の持つ理想が万人にとっての理想ではないことを理解してほしいし、その理想を押し付けられると息苦しいということを理解してほしいと感じます。
意識高い系が苦手な理由
私は意識が高い人たちのそばにいるとしんどくなります。もちろん意識高い仲の良い友人もいますが、理想を押し付けようとする人は苦手です。
苦手なのは「私がそうじゃないから」「私にはできないから」っていう卑屈な理由でしかないのですが、憂さ晴らしに上の特徴1つ1つに物を申していきます。
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「人脈」が好き。
→「自分は人脈がない…」「人脈ってどう作ればいいの?」と不安になったり、「人脈」のある人を見て羨んだりする人も多いかと思います。私も不安になります。
けど本当に人脈って大切なのでしょうか?
そもそも人脈とは。SNSで友達になっている人でしょうか。ビジネスに協力してくれる人でしょうか。気軽に連絡の取れる人でしょうか。「人脈を作ろう」と思っていないのに人脈ができている人もいます。生来、もしくは自然と身についた能力なのでしょう。素晴らしい能力ですが、元々の能力なのであれば「だから偉い」という訳でも、その能力がないから悪いという訳でもないはずです。
自分的な結論は「人脈ができない人は人脈の要らない人間である」です。
人脈ってどういう時に必要か、と言ったら「ビジネスを立ち上げよう、展開しよう」「サークル作ろう」といったときでしょうか。(よく知らないですが)
人脈のできない人すなわちあまり社交的ではない人にとって、上記のことを志すことはあるのでしょうか?あるとして、それが本当に幸せでしょうか。むしろ負担ではないですか?それだから悪いという訳ではありません。「他人を自分の思い通りに動かすこと」とは別のところに幸せを見出せば良いのではないでしょうか?大多数がそれを目指しているからといって自分にそれを適用する必要はありません。
あと、私は「人脈」を作ろうとするのは人を駒のように扱おうとしている気がして違和感があります。
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コミュ力第一。
→コミュニケーション能力のない人が「コミュ障」として蔑まれている風潮、本当に嫌いです。コミュニケーション能力は人間に数多備わっている能力の一つに過ぎず、その他の足りない能力を補完する機能にしか過ぎないと私は捉えています。
むしろ、「コミュニケーション能力がないから」といって他の能力があるかもしれないのにその人を大切に扱わないのは(普通に人間として問題ありますが)、組織にとっても大きな損失ですし、組織の未熟さでもあります。悪いのは周りであってコミュ力のない当人ではありません。
と書きましたが、個人的には「話す」能力は別になくても、「聞く」能力のほうは結構大事なんじゃないかなぁと思っています。(根拠がうまく言える訳ではない)
大学生の言うコミュ力は「話す」能力を指すことが多い気がしますが、人の話に耳を傾ける能力の方がよほど人間関係にとって大切ですし身につけやすい技術でもあると思います。
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「成長」が好き。些細なことを自分の成長に繋げる。
→この上昇志向は素晴らしいとしか言いようがありません。が、それを他人に押し付けることは時に強烈に人を傷つけることを知ってほしいです。図書館戦争でも堂上教官が「正論は正しい。だが正論を武器にする奴は正しくない」と言っています。上昇志向はある意味正しいのかもしれませんがこれを振りかざすのはやめてください。
「成長しなきゃ意味がない」のであれば、日々何もせず景色を眺めながら暮らしている老人・慢性的な病気で何年も入院生活を送っている人・仕事のできない心身障がい者…これらの人の生きている意味は無いのでしょうか。それって相模原の大量殺人犯と繋がる考えですよね。「生産性を求める」のも同様です。
日々成長していかない人だって生きている価値はもちろんあります。それは大前提です。なんなら、成長しないで漫然と過ごしている時間だって充実しているしとっても大切だと思います。
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起業したがる。起業家が好き。CEOという名が好き。
→特に言うことありません。起業は面白いと思います。CEOという響き、かっこいい。「起業するのが偉い」という価値観は違うな、と思いますが。主体的に自分で道を切り開く人もいれば、誰かの元で着実に与えられた仕事をこなす人もいる。タイプの違いに過ぎません。
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ビジネス書を読んではすぐ感化される。
→私はビジネス書を読んだことがないのでビジネス書をdisることはできません。ビジネス書を読まない理由は一応あります。ビジネス書っていくら売れてもすぐに廃れますよね。それだったら、長く読まれている文学作品だったりいわゆる「名作」を読むことに自分の時間を使った方が得るものが大きいんじゃないか、と思っています。というより「何を得たいか」っていうのが人によって違うところだと思うのですが、私は即効性のある処世術に対して今はそこまで必要性を感じません。もっと自分の芯に響くような(うまく言えません)ものが読みたいです。
→前の項目でもそうですが、ポイントは「感化される」というところです。「感化される」というのは一旦対象に心酔したら疑いをさし挟む余地なく没頭してしまう、と言ったイメージです。何となく心理学者エーリッヒ・フロムのいうところの「権威主義的パーソナリティ」を感じます。何事も100%正しいとか100%悪いというのはなく、善悪はグラデーションです。自分の所属する組織に対して疑問を持つことや、疑問を持った人に耳を傾けることも大切なのではないでしょうか。
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SNSで長文投稿。誰も興味ないのに近況報告したり何かしらの意見を言ったりする。
→こうして私が文章を綴るのも同じなので言うことなし。自己満足になって幸せです。
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横文字が好き。
→私のバイト先は紛れもない意識高い系職場なのですが、「ロイヤリティ」「アサイン」「リスケ」「アンフリーズ」…などなど数え切れないほどの横文字に溢れています。確かに日本語では伝え切れないニュアンス(←)を伝えられるなどのメリットもあります。ただ、「分からない人には分からないよね」という排他性を含んでいるところがあまり好きになれないです。
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アツい。明るい。
→またまた私のバイト先の話ですが、皆さんすぐ「ブチ上げていきましょう!!!」と本気で言います。「は??」としか出てきません。「ブチ上げる」ってどのような意味なのでしょうか?具体的に教えてください、と言いたいところ。
アツい、明るい人が評価を受けやすいのはたまたまそう言う時代だからです。夏目漱石や森鴎外など明治時代の知識人は軒並み暗い。暗いというのは悪いことではなく、物事を冷静に&批判的に眺めている、ということでもあります。それもそれでかっこよくない?と「陰キャ」などと人をdisっている人たちに言いたいです。
「反論」というよりは、「色々な人がいて良くない?」「もっと寛容になったら?」という個人的な意見です。